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獣医師になるまで Vol.11
いなくなってしまった犬のウィリーを探しに行った祖父は日が暮れる頃帰ってきました。「おじいちゃん、ウィリーは一人で帰ってきてるよ」と伝えた時の驚きと喜び、安堵が絡み合った祖父の複雑な表情が今でも思い出されます。川は決して近いわけではないうえ、普段はあまり行かない場所です。それにもかかわらず、鼻歌まじりに?帰ってきた犬の帰省本能に驚かされた経験でした。「ウィリーすごいね!」と少年時代の私と弟はその日から数日間ウィリーを褒め続けたのでした。つづく -
獣医師になるまで Vol.10
祖父と川へ散歩に行って行方不明になったウィリー。祖父は責任を感じて「探してくる」と言って家を出ました。家の前の道を右へ向かって探しに出かけた祖父。すると間も無く軽快な足取りで左の方角からウィリーが一人で帰宅しました。「ウィリー、おじいちゃんは?」と聞いても答えてくれるはずもなく…。今度は祖父が帰って来なくなり、立場が逆転することとなりました…。つづく -
獣医師になるまで Vol.9
子犬だったウィリーはどんどん大きくなり、お手や、お座り、拳銃を撃つ真似をして「バン!」というと倒れる等の技もできるようになりました。特に散歩に行く前や食事の前は嬉しくて興奮し「バン!」していないのに、右へ左へ倒れまくっていました。ある日、僕の祖父がウィリーと川へ散歩に行きました。しばらくすると祖父だけが帰ってきて「川でウィリーがいなくなってしまった」と言うのです。ウィリーが行方不明になってしまいました。つづく -
獣医師になるまで Vol.8
車の中ではブルブル震えていた子犬のシェルティですが、家に着いて庭に離すと大喜びで駆け回り、ハイテンションで僕や弟に飛びついてきます。今でもその時の光景がはっきり思い出されます。その後、家族で名前を決めることになりますがなかなか決まりません。そこで家族一人ひとつの名前を考え、あみだくじで決定することとなりました。弟は当時人気だった聖闘士星矢から「星矢」、僕はみつばちマーヤの冒険から「ウィリー」をエントリーし(両親が考えた名前は忘れました…)、抽選の結果「ウィリー」に決まりました。この日から初めての犬「ウィリー」との生活が始まったのです。つづく -
獣医師になるまで Vol.7
高崎のペットショップへ犬を見に行くこととなった当時小学四年生の僕と両親、そしてまだ幼い弟。お店にはかわいい子犬がたくさんおり、僕はポメラニアンを飼う気満々でした。そのような中、両親が店の片隅にいる少し大きくなって値下がりしたシェルティに興味を持っており「この子はどう?」とすすめてきました。お店の人曰く、くせっ毛のこともありなかなか飼い主が決まらないとのことでした。本当はポメラニアンが欲しかったのですが、そのシェルティの行く末も気になってしまい、その子を飼うことに決めました。当時はとにかく嬉しくて、帰りの車の中でワクワクしながら名前を考えていたことが思い出されます。つづく -
獣医師になるまで Vol.6
小学三年生になる直前に父の転勤で再び富岡に戻ってきました。今度は社宅ではないので犬や猫も飼える環境になりました。富岡でできた友達が非常にフレンドリーなシーズーを飼っていたこともあり、最初は犬を飼いたいと心に決めていました。両親が動物好きなこともあり、程なくして犬を飼うことが決まりました。当時、ポメラニアンに強い魅力を感じており、休日に家族で高崎のペットショップへ見に行くこととなりました。つづく -
獣医師になるまで Vol.5
小学校時代にブームとなっていたファミコン。猫を飼っている友達の家に遊びに行き、いつものようにみんなでファミコンをしていると楽しい雰囲気を察知して猫が部屋にやってきます。猫がゲーム機本体を横切る時にカセットにぶつかって画面が止まったり、リセットボタンを踏んで最初からやり直しなどが頻発しました。友達同士なら喧嘩になるところですが、相手が猫だと笑い話になっていたことが思い出されます。そんな東京での生活でしたが、小学三年生になる直前に父の転勤で再び群馬に引っ越すこととなりました。つづく -
獣医師になるまで Vol.4
ピーちゃんとお別れしてからはファミコン一筋となってしまった幼き日々。社宅の子供達が次々とファミコンを手に入れていく中、両親に何度もおねだりしますが子供の玩具としては高価なこともありなかなか買ってもらえませんでした。また当時は社宅の各家庭でファミコンは1日30分ルールというのがあり、子供同士で結束して30分経ったら別の家へ渡り歩くという遊牧民のような生活を送っていました。その後持っていない僕のことを不憫に思ったのか、あるいはご近所への遊牧生活を配慮してか、ついに父のボーナスが出たらファミコンを買ってもらえることになりました。その時、小学一年生にして初めて「ぼーなす」というワクワクする言葉を覚えたのでした。つづく -
獣医師になるまで Vol.3
僕が初めて飼う動物、セキセイインコのピーちゃん。せまい鳥かごがかわいそうで、時々かごから出して部屋の中で自由にさせていました。ある日、いつものように部屋の中で遊ばせていると、開いていた窓の隙間から外に羽ばたいていってしまいました…。ようやく「オハヨウ」と喋れるようになったのに…。その後ピーちゃんを探す毎日でしたがとうとう帰ってきませんでした。特にピーちゃんを大切にしていた母が一番がっかりしていました。せまい鳥かごから自由な世界へ飛び立っていったピーちゃん。その件以来、しばらく動物は飼わず、小学一年生だった僕の興味はもっぱら当時大ブームとなったファミコンへと変わっていくのでした。つづく -
獣医師になるまで Vol.2
東京では父の社宅に住んでいました。子供達も多く、年代も多様でした。同年代のみならず年上の子達にもたくさん遊んでもらった記憶が残っています。また、近所には猫を飼っているお宅もあり、社宅の庭によく遊びに来ていました。当時から犬や猫を飼いたかったのですが、社宅であるため禁止されていました。そこで社宅でも飼育が問題ないセキセイインコを飼うことになりました。僕が初めて飼う動物です。エメラルドグリーンのきれいな羽の色が今でもはっきりと思い出されます。ピーちゃんと名付け、可愛がると同時に言葉を覚えさせようと毎朝「おはよう」と話しかける日々が続きました。するとある時から「オハヨウ!」と喋るようになりました。それ以来、朝も夜も関係なく家族の姿を見ると「オハヨウ!」と語りかけてくるピーちゃん。そんなピーちゃんとのお別れは突然やってきました。つづく
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